学会誌目次データ
『年報カルチュラル・スタディーズ Vol.6』(2018)
■特集:情動(Special Issue: Affect)
特集のねらい
Introduction
有元 健
Takeshi Arimoto
カルチュラル・スタディーズとしての情動論
――「感情の構造」から「動物的政治」へ――
Affect Theory for Cultural Studies: from “structure of feeling” to “animal politics”
伊藤 守
Mamoru Ito
幸せの倫理学
The Ethics of Happiness
金艾瓓 訳:鄭優希
Yeran Kim (Woohi Chung trans.)
【特別講演】ふられた気持ち:言説、権力、情動
You’ve lost that (loving) feeling: discourse, power and affect
ローレンス・グロスバーグ 訳:挽地康彦
Lawrence Grossberg (Yasuhiko Hikichi trans.)
■投稿論文(Articles)
紫煙と社会運動
――現代日本における大麻自由化運動――
Social Movement and Purple Haze: Cannabis Liberation Movement in Contemporary Japan
山本奈生
Nao Yamamoto
〈社会的な死〉を刻印された者たちへ
――桐野夏生『グロテスク』における追悼のゴシップ――
The gossip of mourning for “social death” in Natsuo Kirino’s Grotesque
駒居 幸
Komai Sachi
理論と実践の間の写真
――アラン・セクーラの写真理論再読――
Photography Between Theory and Practice: Rereading Allan Sekula’s Essays on Photography
田尻 歩
Ayumu Tajiri
人種と文化をめぐる冷戦
――第一回黒人作家芸術家会議のリチャード・ライトとジョージ・ラミングを中心に――
The Cold War on Race and Culture: Richard Wright, George Lamming, and the First Congress of Negro Writers and Artists in Paris
吉田 裕
Yutaka Yoshida
メディアミックスに関する日本出版人の認識と実践に関する質的研究
――ライトノベル編集者を中心に――
A Qualitative Study on Japanese Media Publishers’ Perception and Practice on Media Mix: With a Focus on Light Novel Editors
田 泰昊(ジョン・テホ)
JEON, Taeho
1970-90年代アジアの現代美術における「アイデンティティ」概念の受容と変遷
――福岡市美術館の「アジア美術展」を参照して――
Reception and Transition of the Notion of “Identity” in Asian Contemporary Art from the 1970s to the 1990s: Referring to “Asian Art Show” in the Fukuoka Art Museum
石松紀子
Noriko Ishimatsu
■書評(Book Review)
『韓国ポップのアルケオロジー 1960-70年代』
申鉉準ほか著、平田由紀江訳(月曜社、2016年)
[評者]伏木香織
『言語的、学術的翻訳を通して見出された「博物館学」の未来』
光岡寿郎著(せりか書房、2017年)
[評者]潘 夢斐
学会誌への投稿方法
編集後記
『年報カルチュラル・スタディーズ Vol.5』 (2017)
■特集:アメリカ
特集のねらい
Introduction
有元 健
Takeshi Arimoto
アメリカの終わりと日本の末路
――21世紀はどんな時代か――
The End of America and the Fate of Japan: A Prospect of 21st Century
吉見俊哉
Shunya Yoshimi
トランプランドにおける文化政治
――政権発足から最初の100日間――
Cultural Politics in Trumpland: A Report from the First 100 days
イアン・コンドリー(栗栖由喜訳)
Ian Condry
■投稿論文
人口問題の技術
――戦間期日本における新マルサス主義――
Technologies of the Population Problem: The Neo-Malthusian Birth Control Movement in Interwar Japan
李 秀珍
Sujin Lee
(想像できない)ユートピアへ向けて
――Arthur C. Clarke, Childhood’s End、三島由紀夫『美しい星』、冷戦期反ユートピア主義――
Towards a (n unimaginable) Utopia: Arthur C. Clarke’s Childhood’s End, Yukio Mishima’s A Beautiful Star, and the Cold War Anti-Utopianism
宮永隆一朗
Ryuichiro Miyanaga
D.バッキンガムにおける抑圧/自律の二元論とその学校教育論としての可能性
――L.マスターマンのメディア教育論との比較から――
The “Oppressed/ Autonomy” Dualism in David Buckingham’s Media Education and Its Possibility as School Education Theory: From a Comparison with Len Masterman
時津 啓
kei Tokitsu
中国現代アートとアクティビズムにおける「政治」の多義性
――ポスト文革期の前衛芸術グループ「星星画会」を事例に――
The ambiguity of “politics”within art and activism in China: A case study on an avant-garde artist group “The Stars” in post culture revolution era
陳 海茵
Haiyin Chen
「文化戦争」と芸術の自由
Culture Wars and Artistic Freedom
登 久希子
Kukiko Nobori
1950年代の在日朝鮮人美術家の活動
――「在日朝鮮美術会」を中心に――
Korean Artists in 1950s Japan, with particular focus on “Zainichi Chosen Bijutu Kai”
白 凛
Rum Pek
「ハーフ」の技芸と社会的身体
――SNSを介した「出会い」の場を事例に――
The Art of the “Hāfu” and Social Bodies: A Case Study of the “Encounter” that is Based on Social Networking Service
ケイン樹里安
Julian Keane
学会誌への投稿方法
編集後記
『年報カルチュラル・スタディーズ Vol.4』(2016)
カルチュラル・タイフーン2015「振り返り」
A looking back at Cultural Typhoon 2015
Can you remember?
カルチュラル・タイフーン事務局
Cultural Typhoon Organising Committee
■特集:資本(Special Issue: CAPITAL)
振りまくってヘッジを倒せ
――資本と自由、ついに離別――
Digging deep, bring the hedge down: Capital and freedom, they’ve got finally divorced
小笠原博毅
Hiroki Ogasawara
不可視な資本を可視化する
――アイザック・ジュリアンの近年の三連作について――
Visualising the invisible capital: On the recent of Issac Julien
近藤健一/小笠原博毅
Ken’ichi Kondo/ Hiroki Ogasawara
ネッド・ラッドとマブ女王
――機械の破壊、ロマン主義、一八一一―一二における幾つかのコモンズ――
Ned Ludo & Queen Mab: Machine-Breaking, Romanticism, and the Several Commons of 1811-12
ピーター・ラインボー(マニュエル・ヤン訳)
Peter Linebaugh (Manuel Yang trans.)
X2めがけて投げる革命的コモンズのハンマーをつくる
Making the Hammer of the Commons, Which We’ll Throw at X2
マニュエル・ヤン
Manuel Yang
労働の蓄積と女性の価値切り下げ
――「資本主義への移行」における「差異」の構築――
Accumulation of Labor and Degradation of Women: Constructing “Difference” in the “Transition to Capitalism”
シルヴィア・フェデリーチ(小田原彬・後藤あゆみ訳)
Silvia Federici (Ayumi Goto, Rin Odawara trans.)
新たな階級闘争史の地平
――シルヴィア・フェデリーチと反資本主義の闘い――
A new horizon of the history of class struggle: Silvia Federici and global struggles for the common/ the communing
後藤あゆみ
Ayumi Goto
■投稿論文(Articles)
吾妻新と沼正三によるズボン・スラックス論争
――一九五〇年代『奇譚クラブ』における日本的サディズムの萌芽――
The Dispute about Zubon and Slacks between Shin Azuma and Shozo Numa: The Origin of Japanese Sadism in the Kitan Club Magazine in 1950s
河原梓水
Azumi Kawara
「ユニークで普通な身体」の意味
――写真における障害者表象をめぐって――
The Meaning of “Unique and Still Ordinary Body”: On the Representation od Disabled People in Photographs
塙幸枝
Yukie Ban
都市空間をめぐる地域アートプロジェクトの政治性
――東京文化発信プロジェクト「墨東まち見世」を事例に――
The Politics of Community-Engaged Art Projects on the Urban Space: A Case Study of ‘Bokuto-Machimise’ as a “Tokyo Culture Creation Project”
及川裕子
Yuko Oikawa
中野好夫と沖縄
――『道義的責任』と主体化の理論――
Yoshio Nakano and Okinawa: “Moral Responsibilities” as the Logic of making the Subject
吉田裕
Yutaka Yoshida
■セッション報告(Session Report)
制度への仕掛け
――「たまスタディーズ」という試み――
The excitable gimmick towards institutional disciplines: What “Tama Studies” is about
高原太一
Taichi Takahara
■書評/映画評/展覧会評(Book, Movie, and Exhibition Reviews)
女たちはなぜチマチョゴリを着るのか
――書評:そんい・じゅごん(著)、早瀬道生(写真)『きゃわチョゴリ』――
Why do the women wear chima jeogori? (Kyawa-jeogori by Sung-I Jyugon, Michio Hayase)
成実弘至
Hiroshi Narumi
魅了される身体から探る、常時接続社会への処方箋
――書評:ジョナサン・クレーリー『24/7』――
In search of a prescription for an overconnected society attracted to the media spectacle (24/7 by Jonathan Crary)
ケイン樹里安
Julian Keane
再発見、社会運動の力と可能性
――映画評:ジム・ハバード監督『怒りを力に』、マシュー・ウォーチャス監督『パレードへようこそ』――
Rediscovering the power of social movements and the potential (Ikari wo chikara ni [United in Anger] by Jim Hubbard, Parade he youkoso [Pride] by Matthew Warchus)
C.H.A.R.
C.H.A.R.
白老とニ風谷、ふたつのアイヌの博物館
――展覧会評:アイヌ民族博物館、平取町立アイヌ文化博物館――
Two Ainu museums in Shiraoi and Nibudani (The Ainu Museum, The Nibudani Ainu Culture Museum)
鋤柄史子
Fumiko Sukikara
「イメージ」する東京に生きること
――展覧会評:「“TOKYO”―見えない都市を見せる」――
To live in the Tokyo that I imagine (“ ‘Tokyo’: Sensing the Cultural Magma of the Metropolis”)
居原田遥
Haruka Iharada
『年報カルチュラル・スタディーズ Vol.3』(2015)
【目次】
カルチュラル・タイフーン2014基調講演
人種差別主義の廃墟のただ中にある多文化的コンヴィヴィアリティ レス・バック(太田光海訳)
特集〈戦争〉
War Is Ordinary 小笠原博毅
戦争と文学と、「戦争文学全集」 陣野俊史
可動的系譜伝――マルジャン・サトラピのグラフィック・ノベルにおける密接性と流動性 マリー・トーステン(山内正太郎訳)
戦争を知らない詩人の戦争のうた――ディラン・トマスのラジオ 川島健
戦争が閃かす白人性――兵士、移民、シティズンシップ ヴロン・ウェアー(栢木清吾訳)
戦争と「女性の活用」――「母」をめぐるメディア・イメージ 竹田恵子
三万回の「ラスト・ポスト」へ向かって――メニン・ゲートと第一次世界大戦の記憶 霜鳥慶邦
冷戦のカルチュラル・スタディーズのために―ロックフェラー史料館とアメリカ民間財団資料 辛島理人
投稿論文
チェルノブイリ事故後の放射能測定運動と民主主義 生活クラブ神奈川の実践を中心に 安藤丈将
deafness論の可能性へ――ろう文化論を聞こえない身体から考える 山下惠理
社会問題の構築とヒップホップの変容――映画『サイタマノラッパー2』を通じて 堀真悟
統治者は森林地域をどのように対象化したか――戦後米軍統治下沖縄本島北部地域へのまなざし 1945-1972年 森啓輔
書評/映画評
世界史と芸術論を架橋する革命的クリケット文化批評(書評:C・L・R・ジェームズ『境界を超えて』) 赤尾光春
〈闇の女〉に見る社会性、その広がりを描く(書評:茶園敏美『パンパンとは誰なのか』) 小路万紀子
「おはなし」を喚起する力(映画評:纐纈あや監督『ある精肉店のはなし』) 上村崇
忘れられた台湾野球の名誉と台湾人アイデンティティ-を取り戻す(映画評:『KANO 1931海の向こうの甲子園』) 黄柏瀧
研究ノート
パルクールと公共空間の認識変容 ドラガナ・ティントール
『年報カルチュラル・スタディーズ Vol.2』(2014)
[追悼 スチュアート・ホール]
理論化の手前でホールにかたりかける 毛利嘉孝
Stuart Hall and His Theoretical Legacy Hiroki Ogasawara
[特集 レイシズム再考]
特集レイシズム再考 小笠原博毅
Cescent of Race: Charles Darwon’s Descent of Man, W. E. B. Du Bois’s “Double Consciousness”, and the Class Nexus of “Species-Being” and “Color Lne” Manuel Yang
植民地主義とレイシズムーフランツ・ファノン「レイシズムと文化」を中心に 中村隆之
21世紀の人種主義を概念化する—社会学の諸議論を振り返って— レス・バック(杉田真理子訳)
「観察者」が路上で怒鳴るまで—在特会へのカウンター活動取材と自己変容― 松岡瑛理
Lewsham ’77:people’s countah-attack 横山純
[投稿論文]
隠蔽する/占有される映画的身体—成瀬喜巳男『めし』における原節子の身体表象— 北村匡平
ハチ公像が時代によってどのように表象されたのか—戦前と戦後以降のハチ公像を比較して— 那波泰輔
ラディカル・アイヌ・ヒストリー—コスモポリタン文学としての知里幸恵『アイヌ神謡集』— 小野寺真人
分断社会の二つの歴史と共苦—北アイルランドのリパブリカン・コミュニティとロイヤリスト・コミュニティを事例として— 福井令恵
横須賀の表象と「占領の記憶」—YOKOSUKA・ヨコスカ・よこすか— 塚田修一
慈善事業による都市下層の近代家族化—二葉幼稚園から考える「社会的なもの」の可能性— 大石茜
運動の差異化を記録する—ドキュメンタリー映画『鬼ッ子』におけるベトナム反戦運動— 中村葉子
[セッション報告] Anthro-film Laboratory in Cultural Typhoon 2013
映像と人類学のあたらしい関係—Anthro-film Laboratory— 田沼幸子
ビデオカメラとフィールドワーク—ドキュメンタリー『アナ・ボトル』制作の過程から— 森田良成
織機から響く生活の音—撮影と身体実践の往還が引き起こした感性への気づき— 伊藤悟
撮るか撮らないか、それが問題だ 田沼幸子
音、身体、イメージの新たな関係—Sensoryscape from Gondarのこころみ— 川瀬慈
[書評/ドラマ評]
妄想社会主義へと潜航するための海図を描く<『海賊ユートピア 背教者と難民の17世紀マグリブ海洋世界』(ピーター・ランボーン・ウィルソン:著、菰田 真介:訳、以文社、2013年)> 小笠原博毅
いかにしてワトソン博士はアフガニスタンを夢になくなったか? <ドラマ評BBC制作「シャーロック(Sherlock)」(2010年〜)> 栢木清吾
[編集規定]
[執筆者一覧・編集後記]
『年報カルチュラル・スタディーズ Vol.1』(2013)
[巻頭辞]
文化颱風の翼に乗って 吉見俊哉
[文化台風の歴史]
文化台風のあゆみ 田中東子
各大会報告
第1回 早稲田大学(2003年)伊藤守/第2回 琉球大学(2004年)多田治/第3回 立命館大学(2005年) 編集委員会/第4回 下北沢(2006年)周東美材/第5回 名古屋(2007年)編集委員会/第6回 仙台(2008年)坂田邦子・笹島秀晃/第7回 東京外国語大学(2009年)2009実行委員会/第8回 駒澤大学(2010年)テヅカヨシハル/第9回 神戸(2011年)栢木清吾/第10回 広島女学院大学(2012年) 上村崇
[論文]
カルチュラル・スタディーズの終わり 小笠原博毅
憲法試案という企てと脱国家—沖縄と広島と難民 新城郁夫
ミッキーマウスを解剖する—大衆文化論再考 清水知子
保証なき「スポーツの力」—脱ナショナリズム的スポーツ論に向けて 山本敦久
Managing transnational ethno-cultural flows and the international regime of cultural diversity Koichi Iwabuchi
[投稿論文]
大学の危機とカルチュラル・スタディーズの意義—「一般の人々の主体性/能動性を重視する」という言明から— 山内勇人
さまよえるインド人—「駒形丸事件」と帝国の国境管理 栢木清吾
クリス・マルケルのOuvrirにみられる戦争の記憶 東志保
日本文化、資本主義、帝国主義—西田幾多郎『日本文化の問題』を巡って— 川村覚文
「中国のマティス」常玉とマティス作品の「中国化」—20世紀モダニズム絵画と中国画論— 二村淳子
1990年代京都左京区におけるHIV/エイズをめぐる市民活動—「主体化」の観点からの検討 竹田恵子
都市は誰のものか?—公共空間における野宿者排除と抵抗運動から考える 須納瀬淳
ラヴァーズ・ロックにおけるオーディエンスの身体技芸が黒人音楽文化に与えた影響 横山純
ユース・サブカルチャーズの卒業の変容—ギャル・ギャル男サークルからの引退を事例に— 荒井悠介
[編集規定]
[執筆者一覧・編集後記]