7月14日(日) 第三部

たまスタディーズ:国立編

日時
7月14日(日) 16:30-18:30
会場
301
使用言語
日本語

司会者

田仲康博(国際基督教大学)

パネリスト

高橋絢子(一橋大学)
高原太一(東京外国語大学)
桐朋中学・高校 社会部(中学3年生から高校3年生までの学生)


 国立という「風景」は、近代が生み出した装置である。そして、その装置/風景はいわゆる「上から」ではなく、住民自らの手によって、ある「身体」を排除/浄化することで作り出された。

 今日ここにいる5人の中学生・高校生たちが、日々通っている「国立」について抱いている印象はほぼ等しい。静か、整っている、勉強するのに適した環境、落ち着いている…etc.
 確かに、JR中央線国立駅南口から、JR南武線谷保駅北口まで約1.8キロメートルにわたって直線に延びる大学通りには、普通あるはずの都市の喧騒や汚れがない。だが、お隣の立川駅周辺には、粉川哲夫が述べるところの「都市のうさんくささ」の代表とも言えるパチンコ屋、コンビニエンストア、飲食店、風俗店までが所せましと立ち並ぶ。
 しかし、国立の「文教地区」では、それらの看板を1つも見かけない。それは、都市の風景としてはかなり奇妙なものであるが、その独特の「風景」はこれから彼らが大学生・社会人となっても変わらないままであろう。
 なぜ未来の風景を断言出来るのか。それは、この閑静な風景が「東京都文教地区建設条例」によって守られているからに他ならない。

 しかし、「国立」の風景もまた、これまで幾度となく破壊の危機に晒されてきた。最近では、政治経済の教科書にも記述がある「マンション問題」が挙げられる。この時ばかりは、「国立」が誇る風景も資本の力には打ち勝てないのか、と思わされた。だが、その危機は「国立」の風景を、また国立住民の景観に対する意識を弱めるどころか、更に強いものへと高めた。
 なぜなら、マンション計画が進行するのと並行して、国立市が新たに設けた「国立市地区計画の区域内における建築物の制限に関する条例」は、以前よりも厳しい内容を含んでいるのだ。そして、現在「国立」はより強いバリアを風景に対して巡らせている。
 マンション計画によって一瞬開いた国立の「風景の裂け目」は、新条例というより丈夫で強度を増した布で補修された。ただし、風景は現在進行形で、危機と接している。それゆえ、国立の景観を守るバリアは今日も、主に行政の人間の努力によってアップロードされている。

 だが、今では“自然”なものとして流通している「国立」の風景は、そもそも静かでも整ってもいなかった。本来、国立はお隣り立川と変わらない、人の匂いがする「まち」であった。唯一立川と違ったのは、国立は大学しかない寂れた町であった、という事だ。
 では、「国立」の町はいつ綺麗にされ、整えられたのか。それを知るには、「被写体や風景は、現場に戻すことによってそれが『何か』が見えてくる」と述べた比嘉豊光の言葉に従って、国立が文教地区指定を求めた1951年まで遡らなくてはならない。