7月14日(日) 第一部

文化と政治――音楽が鳴り止むとき

日時
7月14日(日) 10:30-12:30
会場
301
使用言語
日本語、英語

コーディネーター

宮入恭平(法政大学)

パネリスト

ポップ・ミュージックが政府に運営されるとき―台湾のポピュラー音楽政策に関する批判的な議論
簡 妙如(国立中正大学、台湾)

政治力の行使ー台湾のライブハウス「地下社会」の閉鎖から学ぶ
何 東洪(輔仁大学、台湾)

アメリカのプロテストソングと日本における社会変革の可能性
ネルソン・バビンコイ(ミュージシャン)

ミラーボールが止まる時ー風営法とクラブの問題について考える
磯部 涼(音楽ライター)

討論者

アンディ・ベネット(グリフィス大学、オーストラリア)


 文化に政治は含まれるべきなのだろうか? 2011年4月7日、ミュージシャンの斉藤和義は、自身の楽曲の替え歌「ずっとウソだった」をみずからYouTubeにアップした。その歌詞には、反原発という政治的なメッセージが含まれていた。賛否両論さまざまな意見が飛び交うなかで、同じミュージシャンの水野良樹(いきものがかり)はtwitterに斉藤和義を批判するツイートを投稿した。ポップ・ミュージックに政治を取り入れるべきではない!という主張だ(もっともその一方で、現在のポップ・ミュージックシーンを牽引するAKB48は「都知事選に行こう!」という政治への参加をうながしているという事実もあるのだが……)。第二次世界大戦後の日本では、ポピュラー音楽が商品として消費され続けている。商品としての音楽を売るためには、政治的なメッセージをできるだけ排除する必要があるのだ。3.11は商品として消費されるポピュラー音楽という既存の価値観を覆す契機になるはずだった。しかし、ポスト3.11のポピュラー音楽シーンでは、相変わらず毒にも薬にもならない楽曲がヒットチャートを埋め尽くしているのだ。
 2011年の秋に放映されたテレビドラマ「家政婦のミタ」の主題歌がヒットした斉藤和義は、2012年12月31日の紅白歌合戦への初出場が決まった(ちなみに、「大トリ」を務めたのは いきものがかり だった)。政治的なメッセージを発信したはずの彼が、(いきものがかり と同じステージに立つという)商業ベースの音楽産業に取り込まれてしまったのだろうか? あるいは、音楽産業の規律に反する行為をとった「禊(みそぎ)」だったのだろうか? しかし、それは単なる思い過ごしだったようだ……大晦日の夜、全国に生中継された斉藤和義のギター・ストラップには、「Nuke is over」という言葉が書かれてあった。
 はたして、わたしたちの生活に(ポピュラー)音楽、そしてもう少し広く(ポピュラー)文化は必要不可欠なものなのだろうか? さらに、音楽や文化に政治は含まれるべきなのだろうか? 3.11では不謹慎の名のもとに、(ポピュラー)文化が真っ先に排除の対象に仕立て上げられたのは言うまでもない。文化を商品として扱う音楽産業は、チャリティの名のもとで音楽の商品価値を維持していた。やがて、世間の風向きが変わると、少なからず反(脱)原発を訴えるシーンが見られるようになった(フェス、「アトミックカフェ」、サウンドデモ…など)。もちろん、そのような行為は積極的に評価されてしかるべきだろうが、同時にそれを一過性のものとして冷静に判断する必要もある。(ポピュラー)音楽や(ポピュラー)文化の力は、社会を変えるにはあまりにも脆弱なのかもしれない。あるいは、日本だからなのかもしれない……。