Performance

HIBAKU – Marhcing at Fukushima Daiiichi NPP

Time
13th, July (Sat.) ①15:00 – 15:30 ②16:00 – 16:30 ③17:00 – 17:30
Place
B206
Category
Performance

Cast

Tashi Iwaoka (Ehkä production)

This solo performance is based on the visit to Fukushima in August 2012. The performer moves through a ’corridor’ between two video projections at the both ends which reflect the inevitable future for the people living under the radioactive contamination. This performance is a manifestation of will to live, and desperate wish for building a better future not only for the living but also the dead in the Japan earthquake on 11 March 2011.

HIBAKU@CulturalTyphoon2013 (PDF 1.9MB)

演劇『性的な家族』

Time
13th, July (Sat.) 14:30 (Open at 14:10) – 16:00
Place
B201
Category
Drama

Organizer

成瀬 都香(東京経済大学)

Casts

水島 俊(東京経済大学)
斎藤 秀敏(東京経済大学)
萩原 誠(東京経済大学)

「擬似家族」という言葉を耳にする機会が増えた。先日、NHK「特報首都圏」という番組でシェアハウジングする若者の姿が紹介された。そのなかの一人の「擬似家族サイコー」という言葉を聞いた私は得体の知れない恐ろしさを感じた。現に家族の形態は多様化しているそうだ。シェアハウジングだけでなく、同性カップル、子連れ再婚(ステップファミリー)、友情結婚など、血縁だけでなく、愛情にも縛られまいとするライフスタイルを選択する人もいるそうだ。その選択に関しては私も大いに賛成である。しかし擬似家族とは多くの場合、「家族の形態の多様化」という文脈とは別の語られ方をすることが多い。例えば最近では尼崎事件が記憶に新しい。被告を中心として形成された擬似家族の内部で暴行と殺人が行われたとされる事件だ。また90年代に注目を浴びた宗教団体や農業コミュニティの事例から擬似家族とカルトの親和性が語られたりもする。そのような現状を踏まえた上で今回私たちが注目するのは、ある集団が意識的に形成する「理想の家族」の在りようだ。もちろん世の中には成功した擬似家族の例もあるだろう。しかしそれぞれの集団における思想やルールが集団のシステムの柱となるとしたら、その構築の段階で構成員たちの予期せぬ方向に歪んでしまうということは有り得る話ではないだろうか。今回は演劇という方法を使って「こんなドンデモ集団ありえるかもよ」という冗談を飛ばしながら、「家族」という言葉の気持ちよさと恐ろしさについて考えてみたい。〈上演時間約1時間〉※上演後アフタートーク予定

311以降の身体と心を編み直すために

Time
13th, July (Sat.) 16:30 – 18:30
Place
B202
Category
Workshop

Organizer

武籐 類子(里山喫茶「燦」/福島原発告訴団長)
植松 青児(印刷労働者)

「原発いらない福島の女たち」「福島原発告訴団」などで全国を奔走されている武藤類子さんは、実は盆踊りや語り合いのワークショップなど、追いつめられた身体と心を編み直す試み、これからの私たちを模索する試みも実践されています。リラックスした気持ちでご参加ください。3部構成です。
1:スライド上映
武藤さんが(311原発事故まで営んでいた)里山喫茶「燦(きらら)」の日々を、自然エネルギーの活用のノウハウ、縄文人にならって採集したドングリを食用にする試み、店内に入ってくる鳥や動物や昆虫など、美しい写真スライドとともに紹介します。ほっこりした気持ちになりますよ。
2:盆踊りのワークショップ
福島県の会津地方に伝わる「かんしょ踊り」を参加者全員で踊ってみます。「かんしょ」とは理性の制御が効かない状態を表す方言ですが、会津の人々の身振りをなぞることで、身体の中に何か気づきが生まれるかも?
3:語る/聴くワークショップ
二人一組になって、片方が語り、もう片方が頷きながら聴く(時間がきたら語り役と聴き役を入れ替える)時間をつくります。このつかの間の時間を通じて、ある人は「話したいことがたくさんあるのに話せる機会があまりに少ない」日常を、ある人は「相手の話を聴く機会を作らなかった」日常を再発見するでしょう。その発見は新たなスタートになるはずです。

Return of ‘Radio Alice’ to Cultural Typhoon:the First Screening of the Film ‘Radio Alice’ in Japan and Discussion on Free Radio

Time
14th, July (Sun.) 14:00 – 16:00
Place
B206
Category
Movie & Discussion

Organizer

Mouri Yoshitaka (Tokyo University of the Arts/Free Media Research Lab )

Panelists

-lavorare con lentezza

Ueoka Seiji (Free Media Research Lab)
Iitaka Toshikazu (Kumamoto Gakuen University)
Ogawa Wataru (Writer)
Kano Ai (Tokyo University of the Arts)
Shimizu Tomoko (Tsukuba University)
Mizushima Kazunori (Osaka Sangyo University)
Hanasaki Kaya (Artist)

The first screening of ‘Radio Alice (2004, 108mins)’ in Japan: it depicts an Italian free radio in Bologna in the late 1970s, ‘Radio Alice’, which Felix Guattari saw as ‘the eye of cultural typhoon’ in his ‘Molecular Revolution’. Subtitled in Japanese. Broadcast and discussion on with free radio.

文化と政治―音楽が世界を変えるとき

Time
14th, July (Sun.) 14:00 – 16:00
Place
J, Kiryo Kaikan
Category
Live Music Performance

Cast

宮入 恭平(法政大学)
ネルソン・バビンコイ
kotta
コールさとう
高橋わたる
宮入恭平 with Kamacho

ニール・ヤングは、「音楽が世界を変える時代は過ぎ去った……ひとつの歌が世界を変えることはないだろう。それでも僕は歌い続ける」と語った。

音楽で世界を変えることはできないのかもしれない。それでも僕は信じていたい、「もしかしたら、音楽で世界を変えられるかもしれない」と。。