パネル

カルチュラル・タイフーン2011のパネルセッションは、限られた時間とスペースのなかで、濃密な対話と集中的な議論を実現するため、テーマを絞った構成になっています。それぞれのセッションは、「リージョナルな思考を越える」、「移民/労働/貧困」、「カウンター・ノスタルジア」のいずれかのテーマのもとに組織されています。それぞれのテーマの説明は以下のとおりです。


1.リージョナルな思考を越える

 我々の思考は依然として「リージョナル」なものの見方な思考に限定されています。「リージョナル」なものは、しばしば国民国家を相対化する空間認識として想定されてきましたが、そうした領域自体が要塞と化し、その内と外とを厳格に分断するメカニズムとなってきています。こうした動向は、政治的にであれ、経済的にであれ、あるいは文化的にであれ、たとえば「東アジア」に共同体なるものを安易に構想することの危うさを示唆しているでしょう。
 領域的な思考から自由になるには、「海洋」に目を向けることはひとつの手立てかもしれません。しかし、ただ単に思考の世界地図のなかに海洋空間を包含したり、あるいは「陸地」と「海洋」の関係を反転したりするだけでは不十分です。「東シナ海」や「インド洋」といった名称からわかるように、公海にせよ領海にせよ、海洋空間もまた地政学的思考によって枠付けられていることは明らかだからです。
 そこで、戦前に南米に向けて神戸港を旅立った移民たちの航路を、領域的な思考を見直すためのひとつの道標としてみることもできるでしょう。東アジアから南米への移民というと、「太平洋」を越える航海を想定しがちであり、人によっては「黄色い太平洋」などという民族的・人種的に色づけされた時空を夢想してしまうかもしれません。しかしながら、彼/女らの航海は、神戸から香港、シンガポール、コロンボ、南アフリカの沿岸諸都市を経由してから、サントスなりブエノスアイレスなりに向かうという西回りのものでした。太平洋ではなく、インド洋と大西洋と越える旅路だったのです。
 こうしたジグザグの航路は、一方で当時の海運資本の論理と造船技術の限界が強いたものであったわけですが、他方でこのトランスローカルな経路には、「日系ブラジル移民」という言葉から想定される2国間モデルからはみ出るような、複雑で豊穣な文化交流の契機が見出されるはずです。このように人、モノ、情報そして文化の移動が形成するネットワークから、領域的思考を再考したいとおもいます。


2.移民/労働/貧困

 2007年の世界的な金融危機に端を発する経済不況は、「貧困」や「労働」という古式ゆかしいテーマを経済的、政治的討論の場に再浮上させることになりました。しかしながら、それらを所謂「日本人」の問題へと縮減することで、「外国人」を排除しようとする言説を横行させる素地をつくる結果にもなっています。
 近代以降の「日本」の産業は「日本人」によってのみ担われてきたわけではありません。都市や郊外そして僻地における下層労働の現場は、つねに「国境」を越えて移動する(移動せざるをえない)多彩な出自をもつ労働者の姿で溢れていました。蟹工船や鰯工船に乗っていたのは「日本人」だけではありませんし、そもそもそうした船は往々にして所謂「内地」の外に広がる海域で操業していました。現在、より安価な「人的資源」を求めるネオリベラルな論理の進展により、日本社会のあちこちに「外国人」の姿が一段と増加しています。
 他方で、2010年7月に兵庫県宝塚市で起こった女子中学生による放火事件や、10月に群馬県桐生市で起こったいじめを原因とする女子児童の自殺は、日本に住まう「外国人」の現状を新たなかたちで考えることを我々に求めています。資本の論理とナショナリズムが愛用する「外国人労働者」という一元的な呼称に抗して、家庭や学校、近所、繁華街といったさまざまな場面における、外国人嫌悪や人種差別主義を考えていく視座が必要とされています。労働現場にとどまらず、親と子ども、教師と学生、あるいは友達関係といったさまざまな次元における「外国人」の窮状に目を向けなければなりません。
 とりわけ多文化的背景をもつ子どもたちが、この社会のなかで置かれている状況には、特段の関心をもつ必要があるはずです。若者文化研究は、カルチュラル・スタディーズのひとつの原点であるわけですから。以上のような考えから、「移民/労働/貧困」を一続きの問題と扱うような発表や報告を募集したいとおもいます。


3.カウンター・ノスタルジア

 今日の神戸の街には、ノスタルジアという名の妖怪が徘徊しています。瓦礫のなかから再建されたこの街の外観は、懐古趣味によってせっせと粉飾され、「みなとまち」という表札が掲げられています。しかし、すでにこの街には生き生きとした「港」の風景はありません。60年代以降のグローバルな流通網の再編が求めた港湾荷役の機械化と海岸地域の埋め立てによる新埠頭の建設は、「港」と賑わいと、そこで働く労働者の姿を、我々の視界から徹底的に消し去りました。「港」は街から完全に切り離されているのです。そして、「港」が移設された2つの人工島には、巨大な産業遺跡と広大な空き地、そして莫大な借金が残され、ガラスとコンクリートでできたファッショナブルな建築群で覆われた「ウォーターフロント」は、雑多な物が往来し、有象無象の人々がぶつかりあう波打ち際でなく、遠目に海と船を美的に眺める場所に変貌しました。
 他方で、さまざまな地域から神戸に流れ着き、この街に宿ったはずの多くの異郷民についての物語も、神戸のノスタルジックな自伝のなかでは周縁化されています。「外国人居留地」や「異人館」といった「西洋」の香りが漂う建造物は、国際性や多文化性をアピールするために大きく前景化されるのに対して、たとえば戦時中に神戸港へ強制連行されてきた中国人や朝鮮人の港湾労務者の記憶には脇役としての地位すら与えられていません。また、この街は海外からの人々を受け入れてきた玄関港であっただけでなく、多くの人々が出発する出口であったことも忘却されてはならないでしょう。日本からの南米移民はこの街に仮初の宿を求めたあとに航海に出航し、杉原ビザを手に携えたユダヤ難民はここから上海へと再移住していきました。こうした記憶をめぐる鬩ぎあいが繰り広げられているのは、なにも神戸の街に限ったことではないはずです。
 そこで「カウンター・ノスタルジア」というテーマのもと、支配的な歴史のなかに埋もれている抵抗的記憶を語り直すとともに、さまざまなメディアや表現文化にあらわれたそのような記憶について考えたいとおもいます。