グループ・ワーク


日時:7月23日(土)10:30-12:00  場所:ギャラリー3
震災後のナショナリズムvsマルチ・カルチュラリズム:
在日アイデンティティと韓国からの視線
オーガナイザー 岩村 果奈 (駒澤大学)
要 旨 昨年開催されたカルチュラルタイフーン2010で日韓の学生による合同発表で経験した様々な事柄をふまえ、日本という国家に暮らす異なった背景を持ち、生まれ育った学生が感じる日本という国家、日本人とは何か、愛国心とは何か、日本人のアイデンティティとは、在日コリアンのアイデンティティとは、といったトピックについて各学生が関心のあるトピックを取り上げ、それについての発表を行う。発表者の生まれ育った背景は様々で、強い愛国心を持った日本人学生、帰化した元在日コリアンの父親を持ち、日本人として大阪に生まれ育ち、インターナショナルスクールに通っていた日本国籍を持つ学生、東京都に生まれ、中学校まで朝鮮学校に通い、高校から日本の高校に入り、韓国国籍を持つ学生による発表である。日本人としての立場、また在日コリアンという背景を持ちながらも東京と大阪という違う土地に生まれ、アメリカンスクールと朝鮮学校という全く異なる環境で思春期を過ごした学生の感じる現在の日本が抱えている表舞台では取り上げられない様々な問題について深く追求し、取り上げる。
パネリスト1 岩村 果奈 (駒沢大学)
パネリスト2 金井 恵良 (駒沢大学)
パネリスト3 朴 沼映 (駒沢大学)
司 会 テヅカ ヨシハル (駒沢大学)
発表言語 日本語/韓国語


日時:7月23日(土)13:30-15:00  場所:ギャラリー3
街のイメージを捲る
オーガナイザー 福山 鮎実 (神戸大学)
要 旨 私達はある街を歩いている時、そこで共有される一定のイメージがある事に気付く。それはハンブルクにおける多文化共生、「幸福度No.1」のデンマーク、神戸・長田における阪神・淡路大震災とその復興といったものである。しかしそういったイメージは街のある部分だけを照らし出しているに過ぎない。

では一体、そのイメージが語られる時、誰/何がそのイメージを担っていて、誰/何が排除されているのか?これらの問いを念頭に私たちはそれぞれ次のテーマで発表を行い、そこで不可視化されているものを指摘する。そして一元的に語られたイメージに対する想像力を喚起する場を作りたいと考える。

<”Auslaender” in Hamburg>
多様な国籍の言語と料理店が並ぶ「多文化都市」ハンブルクで、外国人労働者を追い出す都市開発計画が進められている。そこで”Auslaender”(外国人)と名指される人々はどのように生きているのか。ファティ・アキン監督映画”Soul Kitchen“(2009)とその舞台ハンブルクでのフィールドワークを元に描き出す。

<デンマーク・デモクラシー>
近代化の波が押し寄せる中、農民がデンマーク固有の文化を守るために設立されたfolkeshoejskole(民衆の学校)。その基本理念はデンマークのデモクラシーのベースとなった。 その思想が受け継がれ実践される教育現場で、「世界一幸福」な福祉と教育と労働のサイクルから排除される存在の問題を考える。

<長田の「多文化性」とケミカルシューズ>
阪神大震災後、長田は「多文化な街」と「ケミカルシューズの街」というビジョンの下に復興してきた。震災後は「多文化性」が強調されるが、戦前から戦後にかけて朝鮮人が主な担い手であったケミカルシューズ産業の多文化性はあまり言及されない。福山は韓国・朝鮮人とケミカルシューズの関わりを例に、長田の「多文化性」に疑問を投げかける。
パネリスト1 福山 鮎実 (神戸大学)
パネリスト2 秋月 吉野 (神戸大学)
パネリスト3 南 奈穂 (神戸大学)
発表言語 日本語


日時:7月23日(土)15:30-17:00  場所:ギャラリー3
場所を開く/文化を開く(韓国における、独立文化空間AGITの試み)
オーガナイザー 江上 賢一郎 (インデペンデント・リサーチャー)
要 旨 本グループワークでは、韓国の釜山市にある自律的代案文化施設「Indie Culture Network AGIT」のこれまでの文化的、社会的践を紹介し、韓国と日本だけでなく、アジア地域における新しい文化・社会連帯のネットワークとその結節点(ハブ)としての「Social Center(ソーシャルセンター)」の可能性について考えてゆきたい。

Indie Culture Network AGIT とは、釜山市北部の住宅街にある自律的文化活動の為の「Social Center(ソーシャルセンター)」であり、釜山のストリートカルチャーで活動するアーティストたちが常時活動できるスペースとして、2008年に元幼稚園施設を改装してオープンした。以来、AGITは行政のからの資金援助を受けつつも、自主的な管理によって様々な文化/社会活動の為の場所と設備(ギャラリー/アートスタジオ/音楽スタジオ/レジデンス/ミィーテングルーム/キッチン 等)を訪れる人たちにほぼ無償で提供し、アーティスト、学生、社会活動家、海外からの滞在者、そして近隣コミュニティに住む人たちの、自由な制作、発表、集会、滞在の場を開放してきた。

AGITでは、直接的な人間関係と相互扶助のプロセスの継続自体を、文化創造の契機として捉え直し、まだ無名の表現者達の相互連帯/相互扶助のネットワークによって「自分たちの文化」を生み出そうとする流れをつくりだすことを重視しており、「友人関係」という人間関係が、プライベートな領域を抜け出し、パブリックな力を持つ、代替的(オルタナティヴな)社会的関係の実験の場でもあると言えるだろう。

韓国の地方都市で継続してきたAGITの実践とその今直面する問題を知ることで、どのようにして、資本主義制度下で分断されてきた他者との関係を、「友人」という直截的、個的な関係へと回復させ、そのネットワークが生み出し得る「恊働」の形式と自律的なスペースを作り出していけるか、参加してくれる人たちと共に話し、実現へ向けたアイデアを生み出していきたい。
パネリスト1 リュウ・ソンヒョ (インディ・カルチャーネットワーク アジト)
パネリスト2 ジャン・ヒュン・ジュン (ソーシャルサイエンス・リサーチャー)
発表言語 日本語/朝鮮語


7月23日(土)17:30-19:00  場所:ギャラリー2
親子のマルチカルチュラリズム:
家庭内コミュニケーションと教育、そして子供の未来
オーガナイザー 小笠原 博毅 (カルチュラル・タイフーン2011実行委員長)
要 旨 カルチュラル・タイフーン2011を共催しているCBK(関西ブラジル人コミュニティ)は、第二言語習得を積極的にサポートするために、大人から子供まで幅広い年齢を対象に、毎週土曜日の午後にポルトガル語と日本語の教室を主宰しています。しかし、ポルトガル語と日本語、親子でどちらを第一言語として話すかによって、家庭でのコミュニケーション・ギャップが広がるという問題も生じています。これは、教師の皆さんと、多文化コミュニケーションの研究者が、子供にとって最良の言語教育環境をどのように作っていけばよいのかについて、オープンに意見交換するセッションです。
パネリスト 松原 マリナ (NPO法人関西ブラジル人コミュニティ(CBK)理事長)
ポルトガル教室・日本語教室の先生方
司 会 高橋 百合子 (神戸大学国際協力研究科)
発表言語 日本語/英語/ポルトガル語


日時:7月24日(日)12:30-15:00  場所:メインホール
戦後神戸闇市のコスモポリタニズム
ー神戸国際ギャングを題材として−
要 旨 神戸大空襲の傷跡深き戦後直後の三宮。そこで生き抜く日本人、中国人、朝鮮人からなる無頼なやつら。占領軍との丁々発止のつばぜり合いや、闇市の仕切りをめぐって抗争と妥協を繰り返す多国籍のモトリー・クルー。高倉健・菅原文太のダブル主演で1980年にリリースされた『神戸国際ギャング』は、実在の「国際ギャング」を率いた伝説のやくざ、菅谷「ボンノ」政雄をモデルに、日本人、朝鮮人、中国人のやくざ者が、時には殺し合い、時には手を組み、「みんな仲良く手を取り合って」式の多文化共生とはまったく違う、闇市のコスモポリタニズムの物語を描いている。焼け跡の秩序は、法と法外なものをどのように区別していたのか?多文化とは何か?憎しみと連帯との微妙な距離を取りながら共生するとはどういうことか?映画を題材に、極めて今日的な問題について、フロアーを交えてざっくばらんに話し合います。
トーク 市田 良彦 (神戸大学)
司 会 箱田 徹 (立命館大学)


日時:7月24日(日)13:30-15:00  場所:パネルルーム1
ストリートカルチャーの非犯罪化
オーガナイザー 小倉 利丸 (富山大学:og[at]nsknet.or.jp)
要 旨  路上や公園など不特定多数の人々が「自由」に往来する「公共空間」が、商業広告によって占領されるか、行政や警察などの公権力によって高度に管理・監視される現状は、同時に、自由な路上の表現行為を都市空間の秩序に対する逸脱、違犯とみなして「犯罪化」する傾向をもたらしてきた。 これらに加えて、デモやビラ配布などの政治的な表現に多くの規制が加えられていることも「常態」となっていることは、言うまでもない。 その結果、金も権力もない民衆によるストリートの自由の権利が資本と公権力によって大きく抑圧されてきた。 ネットが普及してもアナログ空間からの排除を補完することはとうでいできない。 しかし、歴史的にみれば、無名の民衆による自由な空間としての都市路上は確実に存在してきたのだが、それが徐々に管理と監視の空間に変質してきたのであって、現状が「当たり前」であったわけではないのだ。

 このグループワークでは、グラフィティなど、財産権と真っ向から対立するアーティストの表現行為をとりあげながら、路上の自由について議論する。 憲法上、表現の自由も財産権もともに権利とされるが、現実には財産権が優先され、表現の自由は財産権に従属させられ、財産権を侵害する表現の自由が犯罪化される。 氾濫する商業広告や監視カメラはこの財産権の絶対性を如実に示している。 しかし、私たちはこのグループワークを通じて、逆に、表現の自由を財産権に対して絶対的優位におくべきであり、表現の自由のためには財産権こそが抑制されなければならなず、財産権擁護のために表現の自由が犯罪化されるべきではない、という方向での新しい自由の権利構築を試みたい。 この議論は、文字通りの路上の表現だけでなく、著作権によって制約されるDJ文化、アートマーケットや美術館によるアートの所有に基づく権威の再生産にも関わるものとして、アートの自由をめぐる新たなパラダイム構築を通じた社会の再設計を模索する試みの一環でもある。
パネリスト1 小倉 利丸 (富山大学)
パネリスト2 毛利 嘉孝 (東京藝術大学)
パネリスト2 鈴木 透子 (Steve Wright, Banksy's Bristol: Home Sweet Home 翻訳者)
発表言語 日本語


日時:7月24日(日)15:30-17:00  場所:パネルルーム2
奄美 移民と無国籍
オーガナイザー 大橋 愛由等 (図書出版まろうど社)
要 旨 神戸は移民によって成形されてきた都市である。近代以降、日本国内に限らずアジア各地から、集まってきたひとびとは、既存の身分秩序が存在しない新興都市ゆえの緩やかな規範性のもとで、独自の都市文化を造ってきた。やがてひとびとは〈混ざり合い〉を進め、共同体としての出自意識が希薄化していく。そうした状況下でも、自分たちの集団のありようや、言語・文化の独自性を保ってきたエスニシティがいくつかある。

われわれが取り扱うエスニシティ集団は、鹿児島県奄美群島の出身者たちである。現在神戸には、長田区に徳之島出身者、中央区から灘区にかけて沖永良部島出身者が、それぞれエトニ社会を形成している。奄美を故郷とする出自意識は強く、「郷友会」という互助・親睦共同体を複数運営。活発な活動を展開している。両島出身者とも、自前の会館を所有。そこでは、島唄や伝統芸能を継承する機能も具有している。

われわれのセッションでは、どうして奄美出身者が神戸に集住するようになったのか、その歴史的経緯を分析することから始める。近代以降、日本、中国、米国、沖縄(琉球)、鹿児島(薩摩)といった国家・地域が絡んで、奄美の所属が何度か変転することになり、いわば「無国籍」状態が現出。時に密航という形で本土(ヤマト)へ経済移民を余儀なくされた時期もある。

こうした特質を、〈底辺労働者として移住した初期〉〈終戦直後から奄美の復帰運動時期1945-1953〉〈阪神大震災の前後1995〉〈沖縄・普天間米軍基地の徳之島移設問題で揺れた「沖縄県外」と「沖縄圏内」問題など現在の姿2010-2011〉といった外部からの刺激にさらされた時に、神戸に居住する出身者とその社会がどのように対応したのかを検証。移民都市・神戸の形相のひとつであるエスニシティ集団としての奄美出身者の特徴を考察していく。
パネリスト1 前利 潔 (鹿児島県知名町中央公民館)
パネリスト2 中西 雄二 (神戸夙川学院大学)
パネリスト3 杉原 洋 (鹿児島大学)
発表言語 日本語(時にシマグチ)


日時:7月24日(日)15:30-17:00  場所:パネルルーム4
脱原発運動は、私たちの生き方をどう変えるのか?
オーガナイザー 安藤 丈将 (東京外国語大学非常勤講師)
要 旨  福島第一原発の事故後、原発のない社会をめざす動きが、全国各地に広がっています。原発問題に取り組む新しいグループやネットワークが立ち上がり、原発に関するイベントには、数多くの人びとが参加するようになっています。ここ神戸でも、5月7日には福島原発事故の問題について考える、「THINK FUKUSHIMA+WALK」というイベントが催されました。
 脱原発運動の新しい波が押し寄せる中、若い世代がユニークな運動文化をつくり出しつつあります。福島原発事故の以前から、10〜20代を中心とする数多くの若者が、山口県の上関原発や青森県の六ケ所村再処理施設の問題に関心を持ち、現地に足を運んできました。彼らの世代の多くは、産業構造が変化し雇用の柔軟化が進む中、バイトや派遣といった不安定な形態で雇用され、日々の生活や将来への不安を抱えています。こうした状況の中で、大都市の大企業に依存する生き方に違和感を覚え、それとは異なる生き方をイメージし、さらにはそれを実践する若者が、脱原発運動の中心を担っています。
 他方で、チェルノブイリ事故以降、原発のない社会をつくる行動を続けてきた都市住民の動きも活発です。原発は、地方に雇用を生み出し、その経済を活性化させるとして、推進されてきました。しかし実際には原発は、都市にエネルギーを送る一方で、原発現地の人間関係を推進派と反対派に分断し、大企業に対する地方の依存度を高めてきました。チェルノブイリ世代の都市住民は、日本国内、さらには他のアジア諸国の原発現地の人びととつながりながら、原発が地方にもたらした皮肉な帰結を知り、自分たちのライフスタイルを変えることなしには、原発なき社会をつくることはできないと考え、行動してきました。
 このグループワークでは、脱原発運動が、私たちの生き方をどう変えるのかについて話し合いたいと思います。「生き方」という言葉の中には、私たちが生活の場である地域とどう関わり、どのような仕事をしていくのかということが含まれます。しかし自分の生き方を変えるというのは、そんなに簡単なことではありません。その難しさや悩みも含めて、率直に話し合えたらと思います。
 最初に、関西圏の福島事故世代とチェルノブイリ事故世代の方に歌やパフォーマンスを交えながら、問題提起をしていただきます。その後に参加者のみなさんと一緒に地域や仕事のあり方について話し合います。このグループワークを、原発事故の問題についてともに考えたい、世代や地域の違う人びとのささやかな出会いの場にしたいというのが、主催者の思いです。
パネリスト1 伊藤 弘之 (神戸大学4年生)
パネリスト2 とーち (奥田 亮:ノーニュークス・アジアフォーラムジャパン)
発表言語 報告者の発表言語は、日本語です。英語で発言したい方には、できる限りのサポートをするつもりです。